Everything Becomes Software

iPadの発表は久々にかじりついてリアルタイムで見ていた。iPhoneの時のようになにかひねりや、じらしなどがあるかと思ったのだけど、いきなりiPadっていうストレートさにもびっくりした。今日のWeb界隈では賛否合わせてiPadの話題にあふれていた。

欲しいのかと聞かれると、間違いなく欲しいと答える。売れるのかと聞かれると、それは分からない。同じ市場の他のプレーヤがまだみあたらないので、新たに存在感をあらわすルーキーが勝つのか、それともそんな市場がなかったかのように消え去るのか。はたまた柳の下の3匹目の鰌になるのか。

なによりも、私にとって魅力的なのは、あの値段で、あのサイズのタッチパネルを持ったデバイスが自分で好きにプログラム出来るのだ。それは、わたしにとってはとても革命的なことだ。そう、わくわくしている。

結局iPadのもっとも重要な機能はソフトウェアで何にもなるということなんじゃないかと思う。あの値段だったらデジタルフォトフレームにだってできなくはない。

今はiBooksといって電子書籍リーダのソフトをインストールしているけど、別に紙のメタファーにいつまでもとらわれる必要はないのだ。別の形態のメディアが登場したときもソフトウェアで対応できる。もしくは、AppStoreの中からそういうメディアが生まれるかもしれない。

イニシャルな状態で、iPadが何かという問いに対する答えがAppleの用意したソフトウェア群ということになるのだが、何かというのは時とともに変化しそうだ。

iPadはコントローラの機能だけを実装して処理するのはデスクトップPC、そんな使い方も良いだろう。音楽のソフトのプラグインのパラメータをいじるのにiPadを使う、そんなシチュエーションも登場するんじゃないかと思う。わたしはそういうインターフェイスとしてのiPadにとても期待しているのだ。