A Day In Junkudo 3

なんだか一月がたつのが早い。と、いうわけで、第三回我が家のジュンク堂の日もつつがなく執り行われたのだ。このエントリーは月末にばたばたと書いているわけだが、実際には彼の地震の翌週末だった。

今回、店舗をまた新宿店に戻した。やはり上下移動が少なく1フロアでたくさん見て回れるのは、書架の間を泳ぐという点では優れているのではないかと思う。

まずは前回選んだ3冊だけど、「私デザイン」はプロダクションの現場のパワーと熱気あふれる雰囲気が魅力的だ。そして、タフなのがとても良い。ものつくりの現場は一筋縄ではいかなくて、それでも進むしかないのだ。

「調理場という戦場」浪花節かと思いきや、そこはフランスでの修行を乗り越えただけの事があって、そこここに見え隠れするドライな感覚。それがまたプロフェッショナルなんだなと感じた。この人の作る料理はどういう物なのだろうと思いを馳せる。一度お店に行ってみたい。

「建築が生まれるとき」はカタログと言うよりイントロダクション集みたいな感じだった。美術展のパンフレットの文字の部分だけを集めてきた。そんな雰囲気。最初その感じに戸惑ったけど、要はイントロダクションを読み、ビジュアルは自分でどうにかすればいいという事だ。ときどき姿を現す建築家としての著者の主観による現実世界の切り取り。それは問いかけのようでも内省のようでもあった。

さて、だんだんと難しくなってきてるのが、パターンを避けようとしてアンチパターンにはまらないようにする事だ。前の続きでこれ、でも、これは選んでないからこれ、でもなく、何にも気負わずすっと選び取る。なんだか禅な世界に踏み込みつつあるような気がしないでもない。

そんな中でも、今回はこれはと思った書籍が多くて、さらにその中から選び取るという形となった。書物の世界はどれだけ広いのだろうか。

「秘密は何もない」魅惑的なタイトルではないか。

演劇の演出家の自身の演出についての言及。といっても論文集といった固い物ではなく、序文にもあるように講演を書き起こしたような、そんな本だ。

秘密はない。では、なにがそこにはあるのだろうか。その中を覗いてみたいと思ったのだ。

サブタイトル、いや、そもそも原題が「シンフォニーインザブレイン」となっている。よくよく考えるとローカライズタイトルがカタカナ語で原題と違うという点に不思議な感じを感じなくもない。

帯の「脳波が人をコントロールしているのだろうか」というコピーもとても興味をそそられる。

といっても、サイエンスではなく心理学的なメソッドの話であるらしい。脳波が人に影響するのだろうか。それとも心の揺らぎが脳波の揺らぎとなるのだろうか。

タイトルもさることながら、帯の「デザインには理由がある」というのが心に響いた。

自由奔放ではなく、工業的にも、ユーザビリティにも制約された条件の中でいかにデザインするか。そこがインダストリアルデザインのおもしろさだと思う。

中に読んだ事がある一編があった。どこかで連載していた物をまとめたのだろうか。